インタビュー特別編 松岡和子先生 連載第1回
東京女子大学の卒業生で、著名な翻訳家の松岡和子先生にインタビューさせていただきました! 今回、篠目清美先生のご案内で松岡先生のお宅に、4年安楽侑里子、3年鉄野須美礼、平口京子、渡邉史奈の4人で訪問させていただきました。 |
[安楽]先生とシェイクスピアとの出会いは、いつだったのですか?
東京女子大学在学中の時ですね!
昔から学芸会少女でしたが、大学二年のとき先輩に声をかけられて、シェイクスピア研究会で『夏の夜の夢』のボトム役をやることになりました。それがシェイクスピアとの出会いです。
劇をやっている最中は、もちろん楽しかったけれど、舞台が終わった後にチャペルの裏で、「何もなくなっちゃった、でも、私たちが言葉でしゃべっていた世界が確実にそこにあった」と思ったのです。
逆説的ではあるけど、消えてしまうものの素敵さを感じたときでしたねえ。この瞬間に演劇の方向に進むことを決意しました!
[安楽]先生はどのような学生でしたか?
とにかく読むことが好きでした、それから、いろんな演劇のアプローチとか、頭の中で劇世界を創造することが好きだったので、それが今に繋がっているのだと思います。
実は母も妹も東京女子大学出身なんです! 当時は一年生の終わりに学科が選べて、私は英米文学科を選びました。本館が図書館で、シェイクスピア・ガーデンなどもあった頃でした。
遊ぶことも好きでしたし、油絵ばっかり描いていましたし、フランス語研究会にも入っていました! 当時はありとあらゆることをしていました――八面六臂でしたね。
そう考えると、今の私は東京女子大学から始まったのだと思います。
ですから、学生の時にどんなものに触れるか、どういうきっかけをもらうのかが大事だなと感じています。
[安楽]どんな授業が印象的でしたか?
演劇に興味があったので、その関係で受講したコールグローヴ(C.L.Colegrove、1998年ご退職、東京女子大学名誉教授)先生の授業が決定的でした。
この授業は、週に一本の戯曲を取り上げるというdemandingなもので、一年間でアイルランドとイギリス、さらにアメリカの演劇を網羅。J.M.シング、ショーン・オケイシーにはじまり、バーナード・ショー、オスカー・ワイルドへと進みました。一人の劇作家で二作ずつ読んだかしら。ちょうど60年代で、イギリスの演劇が新しくなってきたときだったので、1956年に発表されたジョン・オズボーンのLook Back in Anger(『怒りをこめて振り返れ』)も読みました。それから大西洋を越えてユージン・オニール、アーサー・ミラー、テネシー・ウィリアムズ、ハーマン・ウォークの『ケイン号の叛乱』、ジャック・ゲルバーなどを読み、その間にアリストテレスの『詩学』、ベルグソンの『笑い』、フランシス・ファーガソンのThe Idea of a Theaterですからね。すごいですよ。
コールグローヴ先生のこの授業は、いま思うと大学院レベルでしたね。充実感のあるものでした。 一年で本当に多くの演劇作品を扱い、勉強できました。
[安楽]篠目清美先生もコールグローヴ先生の授業を受講していたそうですが?
そうです!
私の時は、初回にタイトルは明かされずに、ある戯曲の登場人物とプロットのサマリーが渡されました。次の2週でギリシャ悲劇を2作読み、翌週までに初回のプロットを使ってギリシャ悲劇をグループごとに作って発表するのです。次に同じくエリザベス朝の悲劇を2作読んで、翌週はエリザベス朝の芝居を作るという、とてもハードな授業でした。
ギリシャ悲劇ならコロスを使ったり、エリザベス朝の悲劇なら、血みどろ悲劇を演出してみたりと、かなり発想力を求められましたね。
最後に、初回に与えられたプロットはジョン・ウェブスターの『モルフィ公爵夫人』The Duchess of Malfiであることがわかり、作品を読みました。
日本の芝居も扱い、私たちのグループは京都の公家を登場させ、平泉の中尊寺に駆け落ちをさせたのですが、コールグローヴ先生は、歌舞伎や能にも精通していらっしゃるので、「時代考察がなってない!」など、嫌味もたくさん言われました…(笑)。
この当時は、皮肉を言われても、よく分からなかったのですが(笑)
[安楽]卒業後はどのように過ごしていらっしゃいましたか?
オーディションを受けて、「劇団雲」という劇団に演出部研究生として入りました。
父親に「演出家としてやっていく自信はあるのか」問いただされたときに、「ない」と正直に言ってしまったんです…。 「あるわよ!」とハッタリが言えていたら、演出家になれたと思うんですけどねえ。まあ、ハッタリをかませないのが東京女子大学生の特徴だと思います(笑)。
「やったことないから、分かんないじゃない――」と正直に言ってしまいました。
入団してからは、「雲」の人にいろいろ脅されて、自分には何にもないなと感じました。人を説得する武器もなければ、ハッタリも言えない。そこで、唯一英米の戯曲だけはきちんとやってきたのだから、きちんとシェイクスピアをやろう!(シェイクスピアには失礼ですが…)と思い、東大の大学院に進むことを決意しました!
松岡先生インタビューは次回に続きます。